20190512hincha

HINCHA(インチャ)〜サッカー界で最も尊い存在〜

リーガも残すところもう2節。今日はアスレチック・ビルバオのホーム最終戦を観てきました。スタジアムは相変わらずの最高の空気です。毎度のことではありますが指導者としての目線からピッチの中での両軍の攻防を観て多くのものを学びました。しかし今日はふとピッチの外に目をやってみます。テーマはスポーツ社会学です。

尊敬するマルセロ・ビエルサ監督のコメントでこんなものがあります。「フットボールにおいて最も欠かすことのできないものがあります。我々サッカー監督はそれには該当しません。存在しなくてもフットボールは成立します。メディアの存在はどうでしょう?いえこれもまた違います。クラブの経営者や審判も違います。これらがなくてもフットボールは滅びません。そして観客でもありません。それはHINCHAです。観客とHINCHAは違います。その違いはわかりますか?観客はスタジアムに足を運び試合を観る人達のことを指します。彼らは試合を観、内容によってそれを楽しんで帰っていく存在ですね。HINCHAはそうではありません。」

HINCHAとは何でしょうか。僕はこの言葉を簡単に日本語に訳すことができません。辞書を引くと「ファン」と言う意味が出てきますが、僕はファンと訳すのが好きではありません。なぜならスペイン語でHINCHAが意味するものと、日本語のファンが意味するものには何か大きな隔たりがあるように感じるからです。だからHINCHAはそのままインチャと日本語にしておこうと思います。

僕も最近になって上記のマルセロ・ビエルサ氏のコメントの意味が、少しわかってきた気がします。語弊を覚悟して言うと、サッカーにおいて最も「偉い」存在はインチャだなぁと僕は思います。そしてその次がサッカー選手。我々サッカー監督というのは間違いなくそれらより下の階級に位置しています。ただサッカー監督には決定権という名の責任が与えられているだけで全然偉くないな、と。あくまでサッカーというスポーツはサッカー選手が主役であり、その主役達はインチャの為に日々トレーニングに励み、試合で勝利を目指すわけです。インチャというのはサッカー界で最も尊い存在だと思います。

またそれを思うと同時に感じることがあります。それはある種のコンプレックスに似た感情です。自分がインチャではないということに対しるコンプレックスです。自分は大阪出身なのでガンバ大阪の試合も、セレッソ大阪の試合も小さい頃に観たことが勿論あります。でもあくまでそれは観客としてスタジアムに足を運んで観たまでです。また「スペインのチームではどこのファンなんですか?」と聞かれるとオサスナとエイバルですと言っています。オサスナは最初にスペインで住み始めた町をホームタウンにしたプロクラブだったから。エイバルというのはやっぱり1シーズンとは言え、トップチームのスタッフとして働かせてもらい、クラブのことが大好きになったからです。今ではエイバルの年間シートも購入しソシオにもなっています。でも僕はきっとまだいずれのクラブのインチャではないだろうなと断言できます。それは周りのインチャである友人や知人を見ていれば自分がそうではないことはスグにわかります。インチャというのはもっと違うんです。僕はインチャとして小さい頃から一つのサッカークラブを心から愛するという経験をしたことがありません。これはサッカー界で今後も活動して行こうと思っている身にとってある意味コンプレックスに感じる部分です。

先日のチャンピオンズリーグ準決勝2ndレグ。アンフィールドで3-0のアドバンテージを持ったバルサをリバプールが粉砕しました。バルサを倒したのは誰でしょうか?それは間違いなくそれはリバプールのインチャです。選手達はそのインチャの化身となって戦い、クロップ監督はその人間性や知識でもってインチャと選手の間を繋げることに成功しました。改めてインチャの存在の重要性を世界中に知らしめた夜となりました。

サッカー界にとって最も尊い存在であるインチャ。これなしにその土地のサッカーの発展は考えられません。日本のJリーグができて30年弱。インチャは増えてきているでしょうか?インチャは育ちます。苗を植え時間をかけて木にしていきましょう。そしてそれを続ければ森になります。

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