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フットボールを愛する全ての皆さんへ 〜エドゥアルド・ガレアーノという人物〜

訃報

2015年4月13日、世界を代表する作家エドゥアルド・ガレアーノさんが亡くなりました。フットボールをこよなく愛していた人物でもあったガレアーノさんの訃報はスペインサッカー界も大きく取り上げ、多くの関係者が氏の冥福を祈りました。このニュースを日本サッカー界ではあまり報道されていません。その背景には言語の違いが理由による言語圏間による知名度の差があるのでしょう。そこで今回はフットボールを愛する身としてガレアーノさんに関する記事を共有することで少しでも多くの方にガレアーノさんの存在を知っていただければと思っています。

 

良きフットボールの乞食(こじき)

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エドゥアルド・ガレアーノ。彼は詩人であり、作家であり、フットボールを心から愛する人物だったと言われています。中でもガレアーノ氏は自身を「良きフットボールの熱狂的ファン」であることを強調します。そのためなら分別をも失う自信があると言うのです。「私は良きフットボールの乞食なんだよ。ひざまずき、手の平を上に向け“良いプレー”を請い続けるんだ。そして“それ”を恵んでくれるその時は国もチームも場所も問うことはない。」

そんなガレアーノ氏は著書の中で良きフットボール、良いプレーが日に日に少なくなっていくことを嘆きます。

「フットボールは純粋な遊びから一つの産業と化した。楽しみから義務へと姿を変えていく彼のその姿を見ることは悲しく寂しさを覚えずにはいられない。純粋にその瞬間を楽しむためにプレーするという本来のフットボール自体が持つ美しさはもう遠くに追い払われてしまったんだ。今のフットボールの世界は、美しく鳴く小鳥が何と鳴いているのかその意味を知らなければいけない、そんな場所になってしまった。我々が生きるこの21世紀初頭、フットボールの世界は無駄なもの徹底的に排除していく。収益性のないものは使えないものとみなされる。正義も時計も目的も無視して無垢にプレーする喜びに満ちたフットボールは存在する場所を失ったのである。スピードとパワーを重視したフットボールが押し付けられるようになった。そこでは喜びは放棄されてしまった。空想や幻想は衰退し、大胆さや勇敢さは禁止されるようになってしまった。しかしながら時として幸運に見舞われることもあるものだ。そんな悲しい“体制”に背く向こう見ずな存在をピッチで見かける瞬間があるのである。彼は自身の自由の為、そして人生を享受するためだけにピッチに立つ。そして彼は相手チーム、相手サポーター、そしてレフリーまでを魅了してピッチを華麗に舞うのである。」

 

赤ん坊がゴールと叫びながら産まれてくる国

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ガレアーノ氏は“サッカー界における奇跡の国”と呼ばれるウルグアイの出身です。南米のどの国でもフットボールは特別なカタチで存在していますがその中でも特筆して名前を挙げるとすればアルゼンチン、ブラジル、そしてこのウルグアイでしょう。フットボールへ掲げるその情熱の強さがこの三国を挙げた理由でありますが、彼らはこの大陸で唯一W杯優勝経験がある国でもあります。ブラジル5回、アルゼンチン2回、ウルグアイ2回。そして人口350万人の国であるウルグアイがここに名前を連ねること自体が注目されるべきことであり、このことからもこの国ではフットボールが特別なカタチで生きていることは容易に想像がつきます。ガリアーノ氏そんな母国におけるフットボールの重要性をこう表現します。

「ウルグアイでは全ての赤ちゃんがゴーーーーールと叫びながら産まれてくるのだよ。」

 

著書 Fútbol a Sol y Sombra

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ガリアーノ氏は知識人・インテリと呼ばれることを嫌います。これらの言葉には理性から感情引き離す意味合いがあるからだと言います。その代わりに自身をセンティペンサンテ(sentipensante)という造語を使って形容します。スペイン語で「感じる」を意味する動詞Sentirと「考える」を意味するPensarという動詞を合体させ名詞化したこの言葉は「感傷深く思慮深い人物」と訳すのが適当かもしれません。

そんな彼は私たち人類に全ての分野において大切な言葉を残してくれており、それらの多くがフットボールに関するものでした。世に出された多く著書の中にフットボールに特化したものがあります。「El Fútbol a Sol y Sombra(直訳:フットボールの光と影)」という題で本書は日本語訳も出版されています。本著の中ではフットボールにおける様々な出来事がガリアーノ氏本人の見解と共に短い物語として記されています。短編詩集のように各物語が一つの作品のような美しい仕上がりになっていることで、多くのフットボールファンに愛読されてきました。

 

戦いの後に思いを寄せるべきこと 〜マラカナンの悲劇から〜

General Views of Maracana Stadium - FIFA World Cup Venues Brazil 2013

その中の一つをここで紹介したいと思います。あのマラカナンの悲劇がテーマになっているのですが、「感傷深く思慮深い人物」であるガレアーノ氏ならでは切り口によって描かれている話です。我々サッカー現場に立つ者としても戦いの後に思いを寄せるべきことについて考えさせられる内容です。

 1950年に開催されたブラジルW杯の決勝。ウルグアイ代表が開催国ブラジル代表を20万人で埋め尽くされたスタジアムの中で破ったことがあった。リオデジャネイロのマラカナンスタジアムで行われたこの試合ではブラジル代表が1-0で試合をリードするものの最終的にウルグアイが1-2で勝利するのだ。「黒い隊長」という名で慕われたウルグアイ代表主将のオブドゥリオ・バレラはこの日の勝利の意味について深く考えた人物だと言えるだろう。

 彼はこの日、優勝パーティーがホテルで行われた際に誰にも気づかれないようホテルを抜け出し、悲しみに明け暮れるリオデジャネイロの街へと繰り出したのだ。殆どのバル(居酒屋)が閉まってしまっている中、いくつか営業している店を見つけて彼はそこに入っていく。そこで彼は「被害者」達を観察するであった。オブドゥリオ・バレラにとって20万人の大群衆だったスタジアムで見た彼らは憎しみの対象以外何もでもなかった。しかしこうやって彼らを一人一人観察してみるとどうだろうか。悲しみに暮れて打ちひしがれている姿を彼らをみると慰めてやりたくなる感情に駆られるのだった。この夜オブドゥリオ・バレラは打ち拉がれた全ての人のそばによっては彼らと抱擁をかわした。中には「全てはオブドゥリオのせいだ。あいつのせいだ。」と声を上げる人々もいた。しかしかれは一度も自身の存在を明かすことはせず、ただただその悲しみに寄り添ったのだという。

本著Fútbol a Sol y Sombraではその他にもスタジアムについて、レフリーについて、ゴールについて、ファンについて、選手・監督について等フットボールにまつわる要素がガリアーノ氏によって独特な視点で詩的に描写されています。

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エドゥアルド・ガレアーノ (1940-2015) 享年74歳

安らかにお眠りください。

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